キャリアの棚卸 大分時代

人生のパラダイムシフトがくる。【エピソード2】

「生きるしかばね拾うものなし」.........、の意味は!

学生時代を含め、これまでの人生が大きくシフトする出会い.......

が始まる。

O先輩。

前回の続き(人生のパラダイムシフトがくる。【エピソード1】)ですが、実は大分支店にとって最重要なお客様である会社社長への対応が大クレームになっていたのです。そのいきさつを説明すると........、

ある日その社長がO先輩との約束で支店に立ち寄った時のことです。最初Iという先輩が窓口で接客していたのですが、訪ねて来た社長に対して、「Oは今外出中でオフィスにいません」と、不遜な態度で案内してしまったのです..........、それも確認せず、本当はオフィスに居るのに!

社長は、I先輩の態度とO先輩が約束を破ったと勘違いし、激怒。帰ってしまったのです。その社長からは、それはそれは大きなお仕事を毎年頂いていました。O先輩はI先輩(I先輩はO先輩より年上です)を呼び、「社長が取引をやめると言っている。何故こんなことをしたのか?」と説明を求めました。I先輩は、しら~とした感じで「社長の態度が横柄だったので、」と。わぁ~............、信じられない言い訳! O先輩が発した「生きるしかばね........、」が、このあと登場するわけです。その時のO先輩の剣幕は、今でも忘れません!

その後の社長との取引ですが、O先輩の営業力と人間力のお陰で、無事継続となりました。よかった~。

ギブギブギブギブギブギブ...............、そして一つのテイク!

O先輩がいつも(今でも)いうのが、「お客様には常にギブギブギブギブ...........で、最後に(一つ)テイク(仕事)を頂けるものや!」と。34年会社人として務め、旅行という無形のサービスを販売してきた経験から、O先輩の云っている言葉の「本質」が、今理解できるように思えます。O先輩とは大分支店での3年間しか、一緒に仕事をすることはありませんでした。しかし、実践知としての「お客様満足度の追求」「人との信頼関係の作り方」について、徹底的かつ真剣に取り組んだのはこの時でした。

O先輩は、九州で数々の役職を歴任され、最後は関連会社の社長を務め、2013年退職。今は自ら会社を立ち上げ独立開業。現役時代に築いたネットワークをフル活用し、「人」と「人」とを結び付けるお仕事をされています。12歳年上のO先輩ですが、今でも現役です!

O先輩との出会いは、これ以降仕事をするうえの「基礎」を創って頂きました。 恩師です。感謝しかありません。

はじめての添乗業務!

5月に配属されて2か月後、O先輩から声が掛かる。「そろそろ添乗業務をするか!」と。旅行業を目指した理由の一つは、世界各国を旅することが出来るから。まさにその時が来た!当時は自分で営業し、お客様へ旅行企画を売り込み、更に自らお客様と一緒に添乗(旅)することが普通の時代でした。本来ならO先輩が添乗する予定でしたが、別の企画と重なったため、チャンスが到来!「はい!行かせて頂きます!」、「それで、誰と一緒に行くのですか?チーフ添乗員は?」と質問する。O先輩いわく、「お前ひとりで行け!」との一言。

写真は、初添乗(22歳4ヵ月と21日)の時。写真が残っててよかった!

釜山・慶州2泊3日の旅

1987年(昭和62年)7月17日~19日の2泊3日で、韓国の釜山・慶州へ。参加者12名ぐらい? 当日は福岡空港・国際線ターミナル集合。当時はお客様のパスポートを添乗員が預かっていたので、遅刻は許されない。参加者が全員集まっているのを確認し、チェックイン・カウンターへ移動。航空チケット発券手続開始。実は、福岡空港に来るのも初めて。お客様からの質問に答えられるよう、福岡に前泊。事前に空港内を視察済み!。

無事に飛行機(確か大韓航空だったと思いますが?!)に搭乗。約45分のフライトで、釜山国際空港に到着。入国審査は一人一人なのですが、イミグレーションのスタッフの態度も悪く、色々と(片言の)日本語で質問してくる。その質問で、何を言っているのか分からないお客様が添乗員を探す。そのたびにヘルプへ。ここまでで、既に大汗(^^)。

釜山空港を出たところで、現地ガイドさんと合流!初添乗、初韓国で、現地ガイドさんと会えたことの安堵感!忘れられません。それから専用バスに乗って観光へ出発。最初は慶州を巡る旅。仏国寺~石窟庵~天馬塚へ。当時はのんびりとした場所でしたが、今は世界遺産に登録され、多くの観光客が集まるところになっています。慶州観光のURLを掲載します⇒慶州に行くなら必ず訪れたい、5つの観光スポット! 2泊目は釜山。釜山(韓国釜山のエリア)は港町なので新鮮な魚介類をたらふく食べてきました(^^)。

初添乗!色々とありましたが、何とか無事に旅行を終えることが出来ました!

お客様からのクレーム

帰国後数日して、O先輩から呼ばれる。「お客様からクレームがあったぞ!」と。えぇえぇ!なにが、どこがクレームの対象になったの??? 道中無難に終えたつもりなのに。福岡空港で分かれる際も、「添乗員さん、ありがとうね。とても楽しかったよ」と、お言葉を頂いたのに⤵ お客様の声としては、「全体的には良かったけど、さりげない気の配り方、が出来ていない」とのこと。この時、自分自身の持つイメージ(達成感)とお客様の持つイメージ(評価)は、一致しないことがある。更にお客様は、その場ではそのこと(評価)を言わない......、そのことに気付かされました。この小さな気付きが、今後の大きな学びに繋がる第一歩でした。

もっとお客様のことを知る、知りたい。営業する時の観点や手法が変わってきたのを覚えています。

それから!

社した年(1987年)は、まだまだ色んなことがありました。このあともO先輩の無茶ぶりで、ロサンゼルスへの添乗(写真)、23名を一人で連れて行く機会を頂いたり、月に一人で25本のツアーを出発させたり、怒涛の1年間でした。そのお陰か、いままでぼぉ~」としていた性格が、段々と挑戦的に変化して行きました。

入社後、最初の配属がどこか、そこで誰と出会うか、どのような経験をするか、その後の会社人生を、より厚くする大きなポイントの一つになると考えます。この時代の経験は、東京に転勤してからも、海外に駐在した時も、全ての「基礎」になっています。

これが、最初の「人生のパラダイムシフト」でした。

最後に。

会社に入社した時の経験を2回に分けて書きました。

大分支店時代は、社会人としての「基礎」を創ってくれました(^^)

これからも継続的に学び、更に高みを目指します。

皆様が、何時も元気で、明るく、幸せな生活でありますように!

感謝!

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